蛻変する企業 その2

 新たな年を迎え、読者の皆さまのご健勝と益々のご活躍を祈念しております。今年、よろしくおねがいします。さて、今回は昨年に引き続いてある経営者の先々代が書き残した記録です。明治から大正そして昭和は、平成と同じで小企業にとり蛻変しなければ消えてなくなる時代でした。「今日は明日の続きではなく、明日は今日の続きではない」ことが全文を通して溢れています。

 突然の立退き要求

「大正五年四月突如家主は我家を他に売却せんとし来たり屯旨を宣告す青天の霹靂とはそも之を言うか元より購うに足る蓄財無くさりとて折角住まい馴れたる我家を突如他人に手渡しするも忍びず如何にせんと拱手熟考するも金策以外に方法なきは勿論なり…当時大蔵省の任にありたる我妻は金庫の隅から隅を探し永年貯め置きたる所謂臍繰りの全部を提供す我之を改めたるに壱千余円をなす之に営業用の有り金を合する時は約講ふに足るべき金員となる」

 起業の時もその後も会計担当がシッカリしていると、小企業は助かります。事例では、配偶者が会計を担当し貯めていた金員を出すことで、この突然の立退き要求を切り抜けます。当時の借家人の立場は今と比べると弱く、それに対して不満を言っても埒が明きません。いつ起きるか分らない出来事に備えて貯金しておくことが、会計の役割です。平成でも良き会計担当が近くいると力になります。

 瓦斯から電気へ転換、しかし、剃刀製造は失敗

「瓦斯の営業は次第に衰微し電気の営業は日を追って勃興す茲に瓦斯器具に代わるに電気の器具を陳列販売し専ら此方面に意を注ぐ時恰も欧州大戦中にありたるを以て我国製品に対し外人の需用非常に多く上下を通じて輸出熱最も盛んなる頃となり我も亦其の御多聞に漏れず勧むる者あり之に任せ邸内に工場を設け動力を仕掛け西洋剃刀の製作を始む然りと言えども斯かる単純に金儲け出来得るならば世間何人も苦労する者なし古来の諺のとおり僅々一年足らずにして工場を閉鎖するのやむなきに至り我としては多大な損害を蒙りたる訳なり」

 ここで、瓦斯から電気に転換をしています。照明照度の良さ、導入のし易さ、取扱いが簡易であることなどからあっさりと瓦斯器具から電気器具販売へ転じています。一生懸命行っても、その方向が世の流れにあっていなければ、ダメだと云う事です。世は少しでも良いものを求めているので、企業が努力をしようがしまいが方向違いの努力は高く評価されません。同業種でも良さがあれば、人気を呼びます。駅前の好立地のパン屋は早朝から一生懸命働いていましたが、大手ストアに押されて廃業です。横丁の独逸パン屋は、独自の風味が人気を呼んでお客様一杯です。同じパン屋でも独自性が要ることを証明しています。

 製造は大きな失敗でした。「勧むる者」に任せたとあり、製造に精通しないで始めたのも拙いですが、金儲けが目的であったことが原因です。資金があれば、何でも上手くゆくのではないことを身を先々代はもって知りました。業績を数字で掴んで赤字幅を知り、早く工場閉鎖を判断し収束しています。日々工場の動きを観察していれば、業績が順調なのかはつかめますが、結果である会計面からつかむことが必要でした。

 努力しないて稼ぐ

「併せて戦争によりて我国の得たる利益は実に厖大なるものなりしと云う此の頃より我国の金融は非常に緩慢となり上下を通して景気善き時世を謳歌するに至る之と同時に一般物価は隆々騰貴の趨勢を辿り大正九十年頃には物価一石五六十円諸株式の暴騰更に驚くべし彼の界隈の小僧裏長屋の細君等所謂臍繰りを以て買いたる株にて千金を利したる者此々皆然りとなり以て当時を推し得可なし我も亦此の恩恵に浴し多少の蓄財を得るに至れり依って店舗家屋の改築を思い立ち大正十一年三月起工五月中旬に至り竣成す爾来顧客も一層多く今日にありては漸く漸く店舗の収入により一家の生計を立てるに至り少々安堵の思いをなすに至れり」

 いつの時代にもバブル景気があり、一時の波に浮かれることはあります。これに乗って思わぬ利益を得ることについては、経営者としては予め限界を設けることだと先々代は言っているようです。あぶく銭を再び投機に投ずる代わりに、店舗家屋の改築に資金を投じて、投機に再び戻りませんでした。得た資金を店舗改築に充て本業電気器具販売が漸く収入増加をもたらしています。

 平成でもITを活用した本業は素晴らしいと賞賛を浴びていたチョコレート会社が、財テク失敗で破綻しました。ジーンズ製造業は本業では激しい競争に立ち向かっておりましたが、これも同じように財テク失敗で破綻です。楽をして資金を得られると、経営者が浮つくことに警鐘を鳴らしています。

 再び蛻変、そして集中

「翌十四年に入り不景気と云う悪鬼しい愈々肉迫し来る二月末日其の月の収支計算を調査せしめるに大正六年以後旦て嘗めたる事なき所謂食い引込みを演ずるに至る此の如き状態にては前途如何になり行く事かと密かに心痛致し折柄子供等が研究の為にと前年七八月頃より取付試験し居るラヂオが愈々社団法人東京放送局なる名称の許に新設され大正十五年三月より放送開始と云う段取となりたるを以て之が材料部品の売れ行き日々多く三月中旬頃には一日の売上三百円乃至五百円を達するに至り俄かに活気付き店員の数を増やすやら見本棚の陣容を改めるやら殆ど昼夜兼行全力をあげてラヂオの営業に没頭したなり茲に新規の営業には常と人往に落ちさる余の疾風迅雷の勢いを以て従来主力たる電気器具類は全部奥の物置に押し込めて茲に初めて純然たるレディオ・ストーアとなし専ら顧客の吸収に努力したり大正十五年三月二十二日アーアーアー聞こえますかJOAKJOAKこちらは東京放送でありますこんにち只今より放送を開始致しますと放送される記念すべき日なり」

 長い引用ですが、瓦斯照明から電気照明と転換し事業を発展して来ましたが、ここで再び転換します。その転換は子供達が研究してきた新規品ラヂオ販売で起こしたものです。新しい物は若者がとらえられる例です。世の中の動きや方向を見る能力は、若者が優れていると云うことでしょうか。先々代が経営者として優れている点は、「電気器具類は全部奥の物置に押し込め」て陳列を新規品ラヂオだけにしていることです。電気器具類の在庫品消化してからと言う中途半端なことは、従業員が戸惑うだけで小さな企業ではとってはならない策なのです。

 困難から逃げるな

「我郷里の祖先皆酒嫌いなり我も勿論我兄弟皆然り我子孫も皆斯のありたし」

 ここで先々代は「苦しいからと言って、酒に逃げても逃げ切れるものではない」と言いたかったようです。経営はその規模を問わず日々思わぬ苦難が襲ってきます。苦難に立ち向かって行く気持ちこそが、経営者には必要だと言っています。経営者は従業員と違い、経営に対する責任の重さがあります。経営は続くことで、信用が得られます。経営を続けるには、経営者が強い気持ちを持つことであって、酒で忘れても何の解決にはならないと言っています。

 お正月は酒を楽しむ機会が多いですが、気をつける点かと思います。

 なにか皆さまの参考になれば、先々代が喜ぶのではないか思います。

 

中小企業診断士 窪田 靖彦